ドイツ情報満載 - YOUNG GERMANY by ドイツ大使館

わたしのDDR〜東ドイツのファッションモデル、レナーテさん

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わたしのDDR〜東ドイツのファッションモデル、レナーテさん

2019年、ベルリンの壁は崩壊から30年を迎えます。
ドイツ民主共和国、通称東ドイツ、略してDDRと呼ばれる国は、1989年の壁崩壊、1990年の東西ドイツ再統一を経て、40年の歴史の幕を閉じました。
年々、東ドイツは「歴史」となり、研究や数字は増えても、この国に実際生き、暮らしていた人は少なくなります。
東ドイツって、いったいどんな国だったんだろう?
東ドイツ時代を生きた、いろいろな人たちに話を聞いてみたいと思います!

第1回目は、レナーテ・ステファンさん。

1950年、ライプチヒ生まれ。ファッションモデルとして活躍した女性です。
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「え、東ドイツって共産主義国家でしょ?お店には物がなかったんでしょ?ファッション雑誌なんてあったの?」と思った方も多いかもしれません。
東ドイツには、Sibylle(ジビレ)という「東のヴォーグ」と言われ、その写真の芸術性の高さや斬新さで東西ドイツ統一後に注目を集めた雑誌がありました。
レナーテさんは、この雑誌のフォトグラファーにスカウトされ、16歳でこの雑誌の表紙を飾りました。

物がないなら、みんなで工夫。いちご栽培のためのビニール

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私はこの雑誌のファンで何冊か蚤の市などで買っていたのですが、特にこの水玉のリバーシブルのレインコートとお揃いの帽子の影から覗く大きな瞳の彼女に♡♡♡だったので、お会いできたときはもう大感激!
左の写真は1966年、彼女が初めてSibylleの表紙になったときの号です。
「メイクしたこともなかったしヘアメイクもいなかったから、先輩に教わって自分でメイクや髪の毛のセットもしたの。
編集部には西側のファッション誌がいっぱい入った通称「毒の棚」というのがあってね(笑)それを見て、真似したこともあったわ。でも物がない代わりにみんなで工夫してたのよ。いちご栽培のための黒いビニールを使って、ショーの服やアクセサリーを作ったりね!」
とレナーテさん。

当時、東ドイツでモデルとしてフリーで働く人は少なかったそうで、誰もが顔見知り。表紙になると50マルク、広告なら100マルク、ショーは125マルクと、お給料は高かったそうです。(70年代当時の東独のフルタイム労働者の平均月収は800〜マルクほど)
「ライプチヒのメッセでモデルもしていて、東ドイツ大使館主催やモスクワのグム百貨店での華やかなショーにも出演しました。東ドイツで作られた美しい洋服が、西側の外国のために華やかにプレゼンテーションされて……。東独の人たちにとってファッションは見るもので、買うものではなかったわね!」

3人集まれば1人は秘密警察。壁の崩壊と自由の厳しさ

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1971年に国営映画会社DEFAの監督と知り合い、ベルリンへと引っ越した彼女。ショーの仕事を通じて西側の男性と触れ合う機会が多いことを、夫ははあまり歓迎はしていなかったよう。
「実際に、アメリカの男性と知り合って逃亡を目論んで数年刑務所に入っていたモデルの友人もいたし。でも私自身は、東西ドイツ統一後に自分の秘密警察の書類を見たら、大したことが書いてなくて逆に驚いたくらい。夫は監視を受けていましたが、誰が秘密警察の情報提供者かは周知の事実だったので、その人の前では言葉に気をつけるようにしていました。東ドイツでは3人集まれば1人はシュタージで働いている人だと言われていましたからね……」。

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した日の夜、撮影所から戻って来た夫から壁崩壊のニュースを聞いた彼女は自分の耳が信じられなかったと言います。すぐ西ベルリンに向かって、国境が開いたという事実を自分の目で確かめたそう。
「壁が壊れてすぐ、西側のモデルエージェンシーに連絡を取って東ドイツ側でショーを企画しようと努力したんです。でもすぐ、うまくいかないとわかって、独立して個人でできる仕事を探そうと頭を切り替えました。
東ドイツの人は大半が国有企業で働いていたので、独立に不安があったと思うんですが、私たち夫婦はもともと自由だったので、その点は良かったと思いますね。」

東西ドイツが統一すれば、東ドイツの良い面は保たれ、西ドイツのいいところが新たに入ってくると信じ、裏切られたと感じた人もいた。

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「東ドイツの人たちは、ベルリンの壁が崩壊して東ドイツと西ドイツが一緒になった時、多分こう思ったと思うんです。
『東ドイツの良い面、例えば社会保障などは保たれ、西ドイツのいいところが新たに入ってくる』と。でも現実はそうではなかった。
東ドイツの方が、女性には働きやすい環境が整えられていたし、貧富の差が少なかったから、他人と比べて羨んだりすることも少なかった。物資が少ないなかで、みんなで助けあって生きてきた。
西側のやり方に対応できず、不公平な目にあった人もたくさんいます。
でもDDRはもう無くなった。私は東ドイツでの生活を楽しく過ごしたけれど、過ぎたことを思い返してばかりいても、しょうがない。
私は東ドイツと、統一ドイツ、両方の時代に生きられて良かったと心から思っています」

★★★レナーテさんほか、東ドイツで活躍したモデルたちの姿が見られる、東独の最先端ファッション雑誌Sibylleについて、11月4日まで、ドレスデンのピルニッツ城にて展覧会を開催中です!
SIBYLLE 1956 – 1995 ご興味ある方是非!

河内 秀子

東京都出身。2000年からベルリン在住。ベルリン美術大学在学中からライターとして活動。雑誌『Pen』『derdiedas 』などでもベルリンやドイツの情報を発信させて頂いています。
趣味は漫画と東ドイツとフォークの刺さったケーキの収集、食べ歩き。蚤の市やマンホール、コンクリ建築も大好物。
Twitterで『一日一独』ドイツの風景を1日1枚、アップしています。@berlinbau

河内 秀子