「笑い」が通用しないとき
せっかく発した冗談に、笑っているのは自分だけで、周りはシーンとなってしまった。---そんな経験はありませんか?
まあダジャレがたいして面白くなかったり、冗談が「滑る」ことは、同じ言葉を話す日本人同士でも「よくあること」ではありますが、
そこで言語が違ったり、異なる文化圏の人(外国人)が集まっていたりすると、さらに「笑い」に関しては難しくなったりします(笑)
かつて私が通訳をした場でのこと。それは、日本人のご高齢の市長さん(当時)と、日本に来ていたドイツ人の学生やその先生たちが参加していた会合でした。
一通り仕事などの事務的な話が終わると、今度はその市長さんがドイツ人の学生さん達と「雑談」をしていたのですが、当然その「雑談」も通訳をしないと意味が分かりませんので、私はその場で交わされていた雑談の内容をも日本語やドイツ語に訳していたのでした。
そんな中で、市長さんはこう言いました。
「先日、妻が3週間ヨーロッパ旅行をして、妻の留守の間、アイロンがけも、掃除も、料理も、私が一人でやりましたよ!わっはっはっはっは!!」
とそれは大きな声で笑う市長さん。
楽しそうに笑っているので、周りは早く内容が知りたい様子。
それで私も市長さんの発言をそのままドイツ語に訳して“Seine Frau war letztens für 3 Wochen in Europa, und währenddessen hat der Bürgermeister 3 Wochen lang selbst geputzt, gekocht und gebügelt!“(「先日、市長さんの妻が3週間ヨーロッパ旅行をしていたので、その間は市長さんが一人で、アイロンがけも掃除も料理も一人でやっいたそうですよ!」)と言ったところ、
聞いていたドイツ人は全員「・・・」。
ほんとうにその場がシーンとなってしまいました。
通訳である私の愛想笑いだけが部屋に空しく響きます。
この時は、通訳が間に入ったことで面白さが伝わらなかった部分もあるかとは思いますが、一番感じたのはやはり「世代間ギャップ」、そして「文化の違い」ですね。
失礼ながら高齢の男性であるニッポン人の市長さん(当時)にとっては、「男であり、社会的地位もある自分が、3週間ものあいだ、アイロンがけも掃除も料理も全部一人でやっていたこと」はそれこそ「非日常」だったのでしょう。男性であり市長さんという立場のご自身が、家事や炊事に勤しんでいることが愉快でたまらない、といったご様子でした。
しかし若い世代のドイツ人に関しては、「おじいさんが一人でずっと家事をした」なんて話はそれこそ「ふ~ん」で終わってしまいます。今のドイツは男女平等ですし、男性が家事をやったからといって、それが笑い話になったのは50年前までかもしれません。
「男が女らしい事をしたから、それが笑いになる」だとか、
「女が男っぽいことをしたから、それが笑いになる」というのは、
ドイツを含めた中央ヨーロッパ(もちろん北ヨーロッパでも)では難しいかもしれません。
それにしても「雑談」の通訳ほど難しいものはないと、この時に痛感しました。
普段は、雑談というものは場を和らげたりと仕事や会議の時に重要なファクターでもあったりするのですが、当然雑談では冗談を言う人がいたりするわけで、そんな冗談を「通訳」すると・・・・冒頭のようなこと(笑いが起きるどころか、会場が静まり返ってしまう)になる可能性も高いのでした。
ちなみに、かつてのロシア語同時通訳の故・米原万理さんは、冗談は訳したとしても決して笑ってはもらえないことを経験されていたため、地位ある人が母国語で冗談を言うと、米原さんはそれを訳さずにお客さんに向かって「さあ、笑って下さい!」と語りかけ、実際に笑いが起きていたのだそう。
なにはともあれ場を和らげるはずが、peinlich(気まずい)な雰囲気になってしまうとは冗談もほどほどにしないとですね。
さて、次回は「笑いのツボ」についてです。
サンドラ・ヘフェリン