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【まさかの来日】 天才作家シーラッハ、やはり尋常じゃなかった!

やっぱりオーラがあるんですよ。 ⒸMarei Mentlein

【まさかの来日】 天才作家シーラッハ、やはり尋常じゃなかった!

フェルディナント・フォン・シーラッハといえば、デビュー作『犯罪』で文芸界を驚嘆させてからドイツで、否、世界でもっとも要注目の作家として活動を続けている人物です。

彼はもともと日本に興味を持っていました。それは単なる東洋趣味ではなく、禅や俳句にあらわれる思想…たとえばキリスト教的世界観などと対照的な、相対性を重視した奥深い価値基準…が、彼の内的生活にとって切実な重要性を持っていたためです。自分の目に映る、五感が感じる世界は、どうも他のみんなが感じているものと違うらしい…その感覚とドイツ的現実の折り合いをつけるための重要キーワードが、実は「日本」だったのです。
いわゆるクールジャパンの魅力ウンヌンとかとは無関係な境地ですね。そう、近作『禁忌』に、「日本の読者のために」と、良寛の俳句をベースに認識論を語る一文(この内容がまた秀逸!)を寄せているのは伊達じゃないんです。

ゆえに彼は、以前から機会あれば日本に行きたいと思っていたそうです。2012年の『犯罪』本屋大賞受賞は絶好のチャンスだったのですが、なんと! ちょうどその授賞式のタイミングに弁護士としての超重要案件が入ってしまい、断念せざるを得ませんでした。

左のピンクのジャケットの人物に思わず注目してしまいますが、右がシーラッハ氏です^^ ⒸMarei Mentlein

左のピンクのジャケットの人物に思わず注目してしまいますが、いうまでもなく右がシーラッハ氏^^ 東京創元社のマスコットキャラ「くらり」を愛でているところ。実際に気に入ったようですが、いわゆる「カワイイね!」みたいなシンプルな感情ではない模様…うむ、当たり前か。 ⒸMarei Mentlein



ついつい忘れてしまいがちな点ですが、実はシーラッハの本業は弁護士で、その傍らで書いた小説がすごすぎるだけなんですね(但し、最近は作家としての活動の比重が大きくなっているらしい)。そして、慢性多忙ゆえ3年経った2015年、ついに彼は来日しました。『禁忌』が日本で舞台化された、その鑑賞&舞台挨拶のためです。
(ちなみに舞台は、やはり橋爪功が凄かった…のと同時に、裁判長を演じた佐藤誓の「自分を気の利いた人物だと思い込んでいるドイツおやじ」っぷりの見事さが秀逸でした。あれこそ演劇の真髄!)

今回、私はシーラッハ氏の通訳を担当したので、彼に間近で接することが出来ました。結論から言うと、やはり彼は超人です。

来日前、もっとも衝撃的だったのは、「日本到着と出発の日時、およびプライベートタイムの行動予定(概略も)を敢えて明かさない」という方針が伝えられたことです。マスコミ対応、ファンサービスの日はちゃんと設ける。だから、それ以外の時間は自由でありたい。それで初めて「日本を感じる」ことができる…からだそうです。

何やら取調べを受けている人みたいですが、実際はちょっと違います(笑)  ⒸMarei Mentlein

ⒸMarei Mentlein



なるほど、確かにクリエイターとしてはごもっともな観点。しかし、彼の来日時の身の安全に責任を感じる立場の人から見たら、それこそ気を揉ませる以外の何物でもありません。夜の新宿の路上を「おおお、リアルTOKIOだ~!」とか感動しながら歩いてて、【お察しください】に衝突したらどうするんですか。東京湾に浮かんでからでは遅いんですよ!

ということで、東京創元社のシーラッハ作品担当編集者のSさんなどはたいへん心配しておられました。しかしさすがシーラッハ、それなりに現実危機回避の能力も高かったのか、いちおう無事に来日・帰独した模様です。まあとにかく、受け入れ側としては本当にほっとしました。

ときに、彼の各マスコミへのインタビュー応答は、その洗練された適度なサービス精神も含め、呆れるほどに魅力的でした。
あまり文芸用語、特に業界用語を使わず、他の文化ジャンルの事例を平易に引用しながら、「小説とは何か」という本質的テーマを浮き彫りにする、その知的でスマートな懐の深さが非常に印象深いです。自作について聞かれていたはずが、話が脱線しているわけでもないのに、いつのまにか文化的な座標軸のあり方の議論になっている、そういう人物です。

【お約束の質問】
日本に到着して、まず印象的だったことは何ですか?
【一見お約束的なシーラッハの返答】
空港の係員が、人ではなく飛行機に向かってお辞儀するのを見て、これは本当に凄いと思いました。

こんな場面でも「自分の世界」を自然に作ってしまえる彼はやはり凄い。 ⒸMarei Mentlein

こんな場面でも「自分の世界」を自然に作ってしまえる彼は凄い。 ちなみに、こうしている瞬間にも世界のあれこれを観察・吸収しまくっているので、そういう意味でもやはり凄い。ⒸMarei Mentlein



上記の応答は、ぱっと見ギャグのようにも感じられますが、実はマジです。
彼は『ロスト・イン・トランスレーション』という賛否分かれる映画(あーこのコラムの読者さんにもあの映画嫌いっていう人いるかもー!)のファンで、その作中で提示されているアウトサイダー的な心象風景を検証する、というのが、実は今回の来日における重要テーマだったのです。
『ロスト・イン・トランスレーション』は、べつに日本に来たくて来たわけじゃない外国人の疎外感がキーとなる作品です。その意味ではシーラッハと対照的なはずですが…いや、実際、意外なほど随所に「ロスト・イン・トランスレーションな」瞬間があったのです。
それは、日本の「お仕事システム」が真正面から「外部の人」と接した際、不可避的に発生するものかもしれません。あるいはひょっとして、シーラッハがもつ「現実の本質を【過度に】現出させる」力がそうさせたのかもしれません。そもそも、この二つに本質的な違いは無い可能性もありますが…いずれにせよシーラッハは、私たちの認識を遥かに超えた領域で感銘を受けていたようです。

【私からの質問】
共感覚者であるあなたにとって、作中で自分の分身たるキャラクターに纏わせている「緑」という色には、どのような意味があるのですか?
【シーラッハの返答】
「緑」の意味は、「記憶」なのだよ。

…いや、短い時間でしたが、満喫させていただきました。
理屈で説き伏せるのではない「行間」の味わい、そして滲む教養にシビれる!…というのは、翻訳者である酒寄さんがシーラッハ文芸の魅力の重点として常々語っておられますが、作者本人が作品とまったく同じ魅力を発散している、という事実が非常に印象的でした。

今回の一件は、「ドイツの大ベストセラー作家が来日した」ではなく、名声や肩書きや政治力などいっさい関係なしに凄い、人間力だけで十二分に凄い「真の教養人」が来日し、短期間ながら日本を堪能してくれた、ということが本当に重要なポイントだったような気がします。

ではでは、今回はこれにて Tschüss!

(2015.6.28)

© マライ・メントライン

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マライ・メントライン

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。

まあ、それもなかなかオツなものですが。

マライ・メントライン

翻訳(日→独、独→日)・通訳・よろず物書き業 ドイツ最北部、Uボート基地の町キール出身。実家から半日で北欧ミステリの傑作『ヴァランダー警部』シリーズの舞台、イースタに行けるのに気づいたことをきっかけにミステリ業界に入る。ドイツミステリ案内人として紹介される場合が多いが、自国の身贔屓はしない主義。好きなもの:猫&犬。コーヒー。カメラ。昭和のあれこれ。牛。

Twitter : https://twitter.com/marei_de_pon

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