ドイツ情報満載 - YOUNG GERMANY by ドイツ大使館

流れよ我が涙、とドイツミステリは言った…ペトラ・ブッシュ『漆黒の森』の威力!

ペトラ・ブッシュ『漆黒の森』 Ⓒ東京創元社

流れよ我が涙、とドイツミステリは言った…ペトラ・ブッシュ『漆黒の森』の威力!

ドイツミステリに驚異の新進女性作家登場! 『漆黒の森』これは見逃せない!
…といっても、「えー? すでにネレ・ノイハウスとかシャルロッテ・リンクとか居るからいいじゃん。しかも、『白雪姫には死んでもらう』と似たような閉鎖的寒村サイコ話なんでしょ?」という反応がいかにも予想されますね、正直なところ。

…すみません。じつは私自身も当初そう思ってました(笑)

が、読んでみて驚きました。
そう、確かにスペック的には、ノイハウスの『白雪姫』の二番煎じと言われてもまったくおかしくない…「過去に発生した子ども行方不明事件の悪夢が、ふたたびこの村を襲う!」っていう趣向まで同じですし。
だがなぜか、まったく二番煎じ感が無い。そしてクドい! 面白い!

コレはいったい何なんだ? 確かにこいつは驚異の新人だ!

Petra Busch: Schweig still, mein Kind Ⓒ Knaur TB

Petra Busch: Schweig still, mein Kind Ⓒ Knaur TB



ということで今回は、ドイツ女性ミステリ作家「予想外のサードインパクト」となったペトラ・ブッシュのご紹介です。
『漆黒の森』でまず印象的なのが、男女二人の主人公が出会う場面。のっけから異常事態が発生して精神的余裕の無い状況下、モノローグで互いの人間観察が描かれるなか、それぞれの男性的・女性的なろくでもなさ感が遠慮なくさらけ出されます。なんという赤裸々主義!
これは早くもなかなか驚きの趣向。果たしてこのキャラたちで先行き大丈夫なのか? とマジで思わせてしまう時点で、読者はもう作者の術中に嵌まっているのです!^^

ペトラ・ブッシュの作風で唸らせられるのが、「リアル」と「リアリティ」の峻別、コントロールの巧みさですね。ひらたくいえば、根本的にアンリアルな要素にリアリティを持たせるのが巧いというか。
たとえば、警部がある居宅に潜入しようとする場面。諸般の事情ゆえやむないアクションなのだけど、捜査令状なしだからどう考えても不法侵入だろそれは! という状況。しかし、彼はプロならではの法律知識を強引に援用しながら自分を納得させた上で、「よし!」と忍び込んでゆく。その理屈っぽさと妙な律儀さ。嗚呼まさにこれぞドイツ! な実感を、一種のメタ的な可笑しさとともに味わわせてくれます。とはいえ、別にコメディ路線というわけでもないのがまた趣き深いのです。

フィリップ・K・ディック『火星のタイム・スリップ』 Ⓒ早川書房

フィリップ・K・ディック『火星のタイム・スリップ』 Ⓒ早川書房



『漆黒の森』の中でもっとも興味深く、また、物議を醸しかねない注目ポイントなのが、自閉症の人物の内面描写を敢えて大胆に行っている点です。
これは倫理的に大丈夫なのか否か?
正面から問えばけっこう意見が分かれる点かもしれません。が、この場でその是非は置いておくとして、物語に独特の知的観点を与えているのは確かでしょう。

そして印象深いのは、その内面描写の雰囲気が、フィリップ・K・ディックの『火星のタイム・スリップ』に登場する異能者マンフレート・シュタイナー少年の心象風景に凄く似ているように感じられる点です。共感覚の有無とかそういう形式的な相違を超えて、なんというか、強く同じ気配がするみたいな。

そう、基本的に「寒村ミステリ」として成立しているはずの本作の中で、あの部分だけ強烈にSF臭がするのです。作者は実際にSFをけっこう知っているんじゃないかな。が、「ミステリとSFの融合」みたいな領域まで踏み出すようなことはない。他のお店では真似のできない隠し味のように使うにとどめていて、だから作中、他のパートから妙に浮くこともない。そして物語はあくまでミステリとして綺麗に収束する…という、この手際の鮮やかさは感嘆に値します。見事です。

正直この人の作品、好みは分かれるかもしれません。けっこうグロいところは確信犯的にグロいし(女性は怖いぞ〜!)。でも文体がまた確信犯的に「文学」っぽく凝っていて、それがグロさをうまく中和している面があったりします。(日本語訳でそのあたりがどう感じられるかはいまひとつ不明ですが^^)

結論としてペトラ・ブッシュという作家、オーソドックス・スタイルと見せかけていろいろな実験を作中でやらかすタイプのように思われます。今後が非常に楽しみです。ええ、あまりに楽しみなので、私は彼女の未邦訳の作品を全部読んでしまいました。うん、詳細は言わないけど面白いですよ、確かに!

というわけで、『漆黒の森』の日本での好評と、今後の彼女の作品の邦訳が順調に進行することを真剣に祈る次第です。

P.S.1
2015.4.9(木)、ゲーテ東京で行われる「ドイツエンターテインメントの夕べ(Tatort Bibliothek)」は、この『漆黒の森』特集です。いつもながら、翻訳者の酒寄進一さんのウルトラトークを関係者がハラハラしながら見守る緊迫のひとときになるでしょう。果たして致命的ネタバレは避けられるのか? 運命の決戦は18:30から! 入場無料! 要予約といいつつ実は飛込みOK! 皆様ぜひお越しください!

P.S.2
本作のクライマックスは、それまでの緊張感が頂点に達し、登場人物のすべての思いが渦巻きながら交錯する激しい場面です。が、一歩ひいて客観的にイメージすると、実はけっこうマヌケなビジュアルだったりするんです。
まあその、主観も絡むから断定しきっちゃいけないけど、時々あるじゃないですかそういうの。登場人物は真剣すぎるほど真剣なのに全体の絵面があまりにヘンすぎる展開。言うまでもなくクライング・フリーマンとか!
もちろんこれは褒め言葉です。私はそういうの好きです。

ではでは、今回はこれにて Tschüss!

(2015.4.6)

© マライ・メントライン

© マライ・メントライン



マライ・メントライン

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。

まあ、それもなかなかオツなものですが。

マライ・メントライン

翻訳(日→独、独→日)・通訳・よろず物書き業 ドイツ最北部、Uボート基地の町キール出身。実家から半日で北欧ミステリの傑作『ヴァランダー警部』シリーズの舞台、イースタに行けるのに気づいたことをきっかけにミステリ業界に入る。ドイツミステリ案内人として紹介される場合が多いが、自国の身贔屓はしない主義。好きなもの:猫&犬。コーヒー。カメラ。昭和のあれこれ。牛。

Twitter : https://twitter.com/marei_de_pon

マライ・メントライン