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ビデオ ドキュメント「なぜ大使館の壁にグラフィティアート?」

ⒸGerman Embassy Tokyo

ビデオ ドキュメント「なぜ大使館の壁にグラフィティアート?」

壁は内と外、道路と敷地を隔て、そして時に民族を分断します。ベルリンの壁は1961年から1989年までの間、世界で最も有名な壁でした。ベルリンの町を周囲から切り離し、市街の中心を分断していたのです。この壁は東ドイツの崩壊を防ぐ目的で建築され、その28年後にドイツの分断を克服しようとする東ドイツ国民の意思によって崩壊しました。




 

1989年11月9日の映像は世界を駆け巡りました。一世代を経て初めて西ベルリンに足を踏み入れることができた人々の歓声、壁の前に警官が警備するブランデンブルク門の緊迫した光景、数珠つなぎのトラバント。これらの光景と共にベルリンの壁と言えばグラフィティで覆われた姿が記憶に残っています。ただしこれは西側のイメージであって、壁の向こう側から見れば、ベルリンの壁は監視塔と鉄条網と兵士の見張る恐ろしい防備施設だったのです。1990年に様々なモチーフのグラフィティ作品が描かれたイースト・サイド・ギャラリーができて初めて、東側の人々にとってもベルリンの壁は過去のものとなりました。

今日ベルリンでは、壁の遺構をほとんど目にすることがありません。壁は今では記念碑として、一部がボルンホルマー通りや壁公園の中、そして前述のイースト・ サイド・ギャラリーに残されているのみです。そして壁のあった場所には細長い金属プレートが敷かれています。その以外にもう壁は存在しません。ですからグラフィティライターたちは別の製作場所を探さなければなりませんでした。ですがベルリンほどこのグラフィティが存在感を放っている町は他にありません。



先日、在京ドイツ大使館の外壁にグラフィティライターの乾慎一郎が作品を描いてくださいました。これはベルリンの壁と壁による分断、そしてその崩壊後の再統 一を彷彿とさせてくれます。かつてベルリンの壁の西側に幾層ものグラフィティが描かれていたように、乾氏は小さなパーツを幾層にも重ねてひとつの作品に仕上げました。そこには鉄条網と握手、そして平和の象徴の鳩などが描かれています。つまりこの作品には平和と和解のメッセージがこめられています。そしてそれは何よりも子供や若者に対して向けられたメッセージで、平和な世界への希望を失わずその実現を目指して戦うことの大切さを訴えています。

なぜなら現在ベルリンの壁はその崩壊によって、もはや分断の象徴ではなく、分断と独裁制の克服の象徴となっているからです。

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