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Facebookに見る「日本語」と「ドイツ語」の違い

Facebookに見る「日本語」と「ドイツ語」の違い

© SimonQ (flickr.com)

Facebookに見る「日本語」と「ドイツ語」の違い

今更ながらですが、日本語とドイツ語って違うのですね。



言葉が違うのはもちろんなのだが・・・なんというか、日本語とドイツ語では言葉の「雰囲気」が明らかに違うのだ。



これ、最近Facebookをやっていて特に意識させられる。



私はFacebookに定期的に近況をアップしているのだが、ここ何年かは全て日本語でアップしている。



Facebookの私の友達の中には、ドイツに住んでいるドイツ人で日本語が全く分からない友達もいるので、私が日本語ばかりでアップしていて申し訳ないな、という気持ちはあるのだけれど・・・。



実際に友達に「サンドラ、日本語でアップしているネタを、ドイツ語にも翻訳して、日本語のテキストの下に貼り付けてみたら、どう?」と提案されたりもした。



これは例えば「ラーメン食べましたー。」と日本語でアップしたら、その下に”Ich habe Ramen gegessen.”と書く、ということですね。



確かにそうすると分かりやすいとは思うのだけれど、結局は私はこの翻訳を今もやっていない。



というのは、私は毎日ではないが、食べ物の写真をFacebookにアップするのも好きだ。食べ物の写真のアップとともに「こんな暑い日は素麺」とか、冬だったら「今日は鍋!」などと短いコメントを日本語で書くのだけれど、ドイツには食べ物の写真を撮ってブログやFacebookにアップする習慣はない。したがって、私の日本語の食べ物コメントをそのまんまドイツ語に翻訳して“Ich habe 何々 gegessen”(今日は何々を食べた)と書くと、「だから?」「それが何なの?」みたいなイジワルなドイツ人的ツッコミが聞こえてきそうで私は嫌なのだ。



そして、食べ物以外のネタに関しては実はもっと難しくて、日本語で言う冗談やダジャレ(「布団がふっとんだ」とかね(笑)さすがコレはアップしたことありませんが)は、ドイツ語に翻訳したところで全然面白くないし、そもそも冗談って翻訳できないですよね。翻訳したところで白けるばかり。なので日本語の冗談を無理やりドイツ語に訳す事も避けている。



そんなこんなで私のFacebookは今も日本語でのアップが続いている。



アップする内容は、上に書いたような「何々を食べました」というような食べ物ネタだったり、日常の他愛ないエピソードだったり。



日常の他愛ないエピソードといえば、先日Facebookに



「コーヒーが入っていたカップに炭酸入りのお水を注いでしまい、なんとも激マズな謎の飲み物になってしまいました。泡がひどい。。。」



と、それこそ日常のちょっとした失敗をアップした。日本人または日本語が分かる友達からたくさんコメントをいただいたが、上記の文章をドイツ語に翻訳してアップしたら、ドイツ人にバカにされそうである。



「なに面白くもなんともないネタ、アップしてんの?!」なんて声が聞こえてきそうなのである。極端な話、「そんなことしかアップしないなんて、日本の生活ってそんなに退屈なの?!」なんて言われてしまうかもしれない。



「これ食べてます」、「こんなドジをしちゃいました」(などの自虐エピソード)、「何々をして幸せ♡」みたいな内容のことってドイツ語だと非常にアップしにくいのである。



ドイツにはそもそも自虐の会話スタイルがないのでますます翻訳は難しくなるわけだ。



ではドイツにいるドイツ人はどういう内容のことをFacebookにアップしているのかというと(あくまでも私の友達のドイツ人がアップしている内容だが)、自分がよいと思った偉人(Martin Luther やマザーテレサ)の名言が3行ぐらいでアップされていたり(これは真面目系な人ですね)、あとはパートナー(ダーリン♡)の写真がアップしてあったり、シニカル系のドイツ人の友達(ドイツには日本よりシニカルな人が多い)は「ちょっとシニカルなネタ」や「ブラックユーモア系の冗談」をアップしています。いわゆるひねりの効いた冗談ですね。皆さん幻滅されるかと思いますので、日本語訳は今回省略させていただきますが・・・。



とにもかくも私が同じノリでドイツ語でこういった内容のものをFacebookにアップするのは無理があります。



偉人の言葉をアップするほど真面目なFacebookの使い方を私はしていませんし、



パートナーもいたりいなかったりなので、いちいち公表するのも(私の感覚が日本的なのかもしれませんが)憚れます。



そしてドイツ語のブラックユーモアなんかを自らアップした日には、いつ内容が日本人の友達にバレて幻滅されるのかを想像すると心配が尽きなさそうです。(内容が日本人に分かってしまった日には、「サンドラさんってこんな意地悪な冗談を好む人だったのですね・・・・」と私の人間性が疑われそうです。理由は、ドイツのブラックユーモアには、他民族をからかったもの、老人や頭が悪い人をバカにしたものもあり、更には放射能ネタも盛んなので日本的な感覚で言えば完全にアウトなものが少なくないからです。)



というわけで、日本語のわかないドイツ人の友達に申し訳ないな、、、と思いつつ、私は今日もFacebookに日本語でアップしています。



まあ、私自身が日本語のほうが気持ちを表現しやすい、という「自分の都合」という部分も大きいわけですが(汗)。日本語は、なんというか、「気軽な話題で和む」ことができる言葉(「幸せな言語」)だと思うのです。



縁側に座って、おせんべい食べながら、そして緑茶を飲みながら「おいしいね~」「和むね~」と会話が和んでほのぼのできる言葉。



「おいしいね~」「和むね~」をドイツ語に翻訳したところで、「ほのぼの」感は絶対に伝わらないし、しつこいようですがドイツ人に「なにオチもひねりも無いツマラナイ内容を書いてんの」と怒られそうです。



それに余談ですが、文法上、実は日本語は非常に都合の良い言葉でして・・・。



「誰かさん」がやったちょっと笑えるエピソードをFacebookにアップする時、うま~く書けば、日本語って主語(つまり「誰がやったか」という部分)を曖昧にできちゃうのだ。「こ~んな面白いエピソードがありました~」と書いて、あえて「誰」がやったかには触れない、というやり方ですね(笑)



これも日本語だからできてしまうんですよね。



ドイツ語は言葉の構成上、そして文法上、主語や述語を入れないといけない場合が多いから、誰々が誰々をどうしました、みたいな事を書かなければいけなくなる。でも、Facebookだとそこまで人のプライバシーを書きたくない場合もあるし、そういう面から見てもドイツ語は難しいのです(笑)。主語を書いてしまうと、面白かったエピソードの内容よりも、主語(「誰が」)の部分に注目してしまい、面白さが半減される部分もありますしね。



・・・・・・と、いろいろ力説してみました(笑)



でも、ドイツ語と日本語で雑談をした経験のある人なら、私の気持ち、少しはわかっていただけるかと思います。



まとめると、言葉(たとえば日本語とドイツ語)には、発音や文法の違いがあるのはもちろんだけれど、それ以外に、その国でヨシとされている冗談、タブーとされている冗談や事項、話し方のスタイル、等々様々な「違い」がそこには存在するのですね。言葉にも「キャラ」というものがあるようなのです。ドイツ語のキャラ。日本語のキャラ。



・・・今回は、Facebookを通して気付いたことについて書いてみました。これからも宜しくお願い致します。




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YG_JA_3163[1]サンドラ・ヘフェリン



ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴15年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社)、近著「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) など6冊。自らの日独ハーフとしての経験も含め「ハーフ」について執筆している。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、執筆、散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。



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サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン