ドイツ情報満載 - YOUNG GERMANY by ドイツ大使館

二つで充分ですよ! でも仕掛けたのは一つだ!!

二つで充分ですよ! でも仕掛けたのは一つだ!!

© マライ・メントライン

二つで充分ですよ! でも仕掛けたのは一つだ!!

敢えて遠慮のない表現をすれば、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件というのは、戦時下ドイツを舞台にした最大のサスペンス的瞬間のひとつと言えるのではないかと思います。

そして、この事件をテーマとした最も著名な作品で、かつドイツで物議を醸しまくったのが、トム・クルーズ主演のハリウッド大作映画『ワルキューレ』です。



何が物議を醸したのかといえば、トム・クルーズはサイエントロジーというカルト教団(日本と違いドイツでは危険団体認定されている)の熱心な信者で、その人物がクラウス・フォン・シュタウフェンベルクというドイツ近代史の偉人を演じるのはいかがなものか、いや、もってのほかだ!! ということで、予定されていたドイツ国防省内での撮影を当局が拒否するなど、制作当時、ドイツ国内ニュースをかなり騒がせたのです。



逆に、そういう周辺事情を排して見た場合、映画そのものはどうなんだ、という話はあまり話題化しませんでした。そのへんが微妙に気になっていたので、今回鑑賞してみました。(そう! 今更です!)



7月20日事件そのものについては上記Wikipediaにも載っているし、ドイツに関心がある方ならば120%先刻ご承知の話でしょうから、ここでくどくどしく説明しなくてもいいですよね。

映画は、実は基本的にそれなりに出来がいいんです。冒頭、アフリカの戦場でトム…じゃない、シュタウフェンベルクが反ナチの思いを綴った日記の文字がどうにもイマドキの学生っぽいのを見たときはこりゃーどうなることかと思った(ぶっちゃけギャル文字っぽい!!)のです…が、その後の絶妙な緊迫展開はさすがお見事というしかありません。

最初ドイツ語だった台詞が強引に英語に変化する違和感はあるものの、トム・クルーズをはじめとする俳優陣の鬼気迫る演技、そして絵的なキマり具合など、結果的にはそれなりに満足できる作品でした。本当は2つ仕掛けるはずだった爆弾を1つしか仕掛けられなかった原因の描写は史書(このへん)と違うのだけど、スピード感重視でこれもアリかな、ということで。

あと、かのヴァランダー警部 (笑)トレスコウ少将を好演していたのも印象的ですね。さすがケネス・ブラナー。ストーリーの「土台」をつくる役回りの彼は、アクション中心なアメリカ流の作風に上手く自らの演技を合わせていました。だからこそ、全体的な統一感がうまく加速したような気がします。



そう、確かにこの映画は良作だ…しかし正直な話、私の脳の奥底を「突く」には何かが足りない…。

「欠点がない」では何かが物足りないのです。なんというか、この映画は本来もっと頑張れたはずな気がする。それはいったい何なのか??



本作、そもそも主役のシュタウフェンベルク大佐は、ドイツの実力派俳優トーマス・クレッチマンが演じる予定でした。それがトム・クルーズに乗っ取られ(まあ、興行的に見てトムの方がいいのは確かだが)、クレッチマンは脇役のオットー・エルンスト・レーマー少佐を演じることになりました。



レーマー少佐とは何か? 彼は要するに、反ヒトラー・クーデターの展開を現場で直接つぶした男です。当初、クーデター側の思惑どおりにベルリン警護部隊を動かしていた彼が途中で鎮圧側に回ったことで風向きが逆転し、クーデター側は急速に追い詰められ、壊滅してゆきます。
レーマー少佐はこの「鎮圧」の功績で2階級特進し、ヒトラー大本営の警護兵から編成された「総統護衛旅団」の指揮官になります。さらに翌年は少将に昇進。全ドイツ軍で最年少の将軍となり、規模を拡大した「総統護衛師団」の師団長として終戦を迎えました。

そして戦後は、この手の軍人にはしばしばありがちなことですが、極右運動家としてネオナチ活動に深く関わり、何の反省もないまま、そこそこ長い人生を全うしました。

合掌。



これだけを見ると、この男はルーデル大佐みたいなナチ愛好家のアイドルにすぎない存在ですが、私はある興味深い点に気づきました。



レーマーはあまりに急速に昇進し、所定の研修や教育を受けぬまま将軍として大部隊を管理することになったため、その指揮ぶりはきわめてお粗末。常に過大な損害を出し続け、同僚の将軍たちから「イタい奴」と酷評されていたそうです。いくら優秀でも、たとえば会社で課長が何の準備もなくいきなり専務になったらどうなるか、という状況を考えればわかりやすいでしょう。

これは右派・リベラル双方の人物評価基準に載りにくい(つまり双方ともイデオロギー信条と性格のみに着目しがち)要素なのですが、レーマー自身の内面に、長く暗い影を落としていたに違いないポイントです。いわゆる戦後社会での「ナチス英雄に対する白眼視」とはまったく別種の救いがたいストレスが、彼を内部から蝕んでいたのではないかと思われます。

愚直に軍人としてキャリアを積む中で得たクーデター鎮圧の功績。ヒトラーから直々に与えられた絶賛。そして、それが結果的にもたらした「軍人として」最大級の汚点・恥辱。この因果はいったい何なのか!?

そういう人物の悔恨・自己正当化の内面プロセスとは一体どんなものだろう、と考えるとき、彼のネオナチ的にヒステリックな長い長い余生は、いっそう屈折した重い色合いをもって見えてくる気がします。



時間の都合もあるから長い尺では描けないだろうけど、こういう観点を何がしか『ワルキューレ』には盛り込んで欲しかった。であればこそ、名優クレッチマンを「凡人」レーマー少佐役に回した甲斐があるというものです。

しかしそうならなかった。だから『ワルキューレ』は手堅い佳作以上のものにはならなかった。なんというか、アントニオ・サリエリを単なる脇役にして『アマデウス』をつくったらこんな映画になってしまう、みたいな感じかもしれません。



『アマデウス』が傑作となったのは、天才に対する「優秀な凡人」の葛藤を描いたからであって、もしそれが欠けていたら、たぶん、自分の内面と無関係に歴史的人物の夭折を惜しむ映画にしかならない。だから『ワルキューレ』は、「シュタウフェンベルクって偉かったんだね」と過去の特異点を愛でるだけの作品になってしまった。

作中強調される、「この国にはヒトラー以外の人間もいる」というコトバが、良くも悪くも象徴的です。決して間違ってはいないのだが、そのまま安直な免罪符にもなりかねないわけで。



クラウス・フォン・シュタウフェンベルクやゾフィー・ショルは、ナチ体制をその真っ只中で拒絶した偉大な精神的規範として教えられるけど、みんなああなれと言っても正直無理です。あの状況下であのように自分の道を確信できるのはやはり超人です。だから超人のすばらしさを称えるだけではなくて、「じゃあフツーの人はどうすればいいのか」について色々と深い示唆を与えるような作品が本当は望ましいなー、と思う次第です。



そんなわけで本作の主役の交代劇は、実は『ワルキューレ』製作陣にとってひとつの大きなチャンスだったのですが、それをちゃんと活かせなかったのがつくづく残念なのですよ。もしうまくやってのけたら、物語の最後の最後に、「なんと!! 実はこういう映画だったのか!!」という衝撃で観客を包み込むことも可能だったのに…と、まあ、今ここで嘆いても仕方ない話ですけど。

監督がイマイチなのかしら??…と思ったところ、実はなんとブライアン・シンガー!! 私が超好きで、「ドラマはやっぱりこうでなければ!!」と思っている『Dr.HOUSE』の監督ではないですかあぁぁぁぁ…あらまあ。



まあその、現実って色々な意味でつらいですねぇ(笑)。



それではまた、Tschüss!



(2013.11.19)




© マライ・メントライン

© マライ・メントライン

マライ・メントライン




シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。

まあ、それもなかなかオツなものですが。

マライ・メントライン

翻訳(日→独、独→日)・通訳・よろず物書き業 ドイツ最北部、Uボート基地の町キール出身。実家から半日で北欧ミステリの傑作『ヴァランダー警部』シリーズの舞台、イースタに行けるのに気づいたことをきっかけにミステリ業界に入る。ドイツミステリ案内人として紹介される場合が多いが、自国の身贔屓はしない主義。好きなもの:猫&犬。コーヒー。カメラ。昭和のあれこれ。牛。

Twitter : https://twitter.com/marei_de_pon

マライ・メントライン