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バイリンガル教育をすべき?

バイリンガル教育をすべき?

© lake.sider (flickr.com)

バイリンガル教育をすべき?

この連載、本来は「ハーフ」がテーマだけれど、「ハーフ」と「語学」は切り離せない問題。今までも「ハーフだからといって必ずしもバイリンガルではない」「バイリンガルになるための教育」「バイリンガルの問題点」そして「バイリンガルでよかったこと」と色々書いてきた。では、これから子供にバイリンガル教育をしようかどうか迷っている親御さんはどうすればよいのでしょうか? 言葉を2つ覚えさせて子供の世界を広げてあげるか、それとも「フラフラ」を懸念して安易にバイリンガル教育に手を出さない方が良いのか?「これが正しい」とか「これが正しくない」と白黒ハッキリした答えを出すことは難しい。



バイリンガル教育を検討するとき視野に入れておきたい点を挙げてみよう。まずは「親側の都合」。子供にバイリンガル教育をする場合、親側に必要なのは財力・体力・時間・根気のどれか。全てが整っていなければいけない、というわけではなく、どれかが欠けていても他の面でがんばれば補充可能だととらえていただきたい。



ウチの両親の場合は、財力はなかったけれど、母が専業主婦だったので、子供と接する「時間」はあった。だから母と子供の間の会話は日本語だったし、親子の会話自体が多かった。私の場合、日本語はほぼ母との会話の中で覚えたと言える。私自身は専業主婦の母に育てられバイリンガルとなったケース。ドイツにいながら言葉(日本語)を覚えるのには母親と一緒の時間を過ごすことが好ましく、実際、私は母が専業主婦だったことで日本語を覚えやすかった。それは紛れもない事実だけれど、「21世紀にふさわしい女性像」という観点から見た場合、私は複雑な気持ちになる。私自身も女性であり、「子供のためには母親が専業主婦であることが一番」的な考え方があまり好きではないからだ。



では母親が専業主婦でない場合は、どのように子供に言葉を教えるのか。その場合は、日本人のベビーシッターさんや日本人の家庭教師に定期的に来てもらう方法がある。ベビーシッターさんを雇うのも家庭教師に来てもらうのも、ある程度お金がかかるため、やはり子供のバイリンガル教育には「お金」がある程度はかかると覚悟しておいた方が良い。



親に「体力」と「根気」が必要というのは、親が子供に両方の言語を覚えるように仕向けても、子供が必ずしもその作戦にのってくれるとは限らないから。語学に限ったことではないけれど、子供は親の作戦通りになかなかいかない。だから子供が「嫌だ!」と言ったり、思ったより子供が語学面で伸びなくても根気よく続けていくことだ。そしてそれは親の根気 & 体力勝負だったりするんですよね。



子供に語学を覚えさせるには親自身が恥を捨てる必要があったりもする。親がある意味 KY でないと、子供のバイリンガル教育はやってられないところがある。というのはバイリンガル教育って必ずしも周り全員が応援してくれるとは限らないから。例えば私の知り合いの日独ハーフの女性は日本で育ち、母親=日本人、父親=ドイツ人、妹=日独ハーフ、という家族構成。それで子供に日本語とドイツ語の両方を覚えさせるために両親は「家庭内のルール」を作り、「姉妹の間の会話はドイツ語ですること」「お母さんとは日本語で話すこと」「お父さんとはドイツ語で話すこと」を子供に徹底させていたんだけど、姉妹が日本人のおじいちゃん、おばあちゃんのところに遊びに行って、姉妹でドイツ語を話していると、日本人のおじいちゃんとおばあちゃんは良い顔をしなかったらしい。やっぱり孫が自分の知らない言語で話をしているのが不愉快だったみたい。その気持ちも分からないではないけれど、そこは「子供の将来のため」と大人が我慢すべきじゃないのかなあ。その子の場合は、両親が祖父母に「姉妹の間の会話はドイツ語でさせているのよ」と教育方針を説明したらしいけど、日本語ができるのに日本人の前で姉妹でドイツ語で話すのは失礼なのではないか? という考えだったみたい。



でも、周りの目に気をつかって「日本人の前ではドイツ語を話してはいけない」っていう事をやってしまうと、バイリンガルに育たない、という問題が出てくる。そこはいい意味で親も子供も KY になって、「バイリンガルになるためには周りの目なんか気にしちゃいられない!」と開き直ることが大切だったりします。ちなみに上に書いた子は大人になった今、日本語とドイツ語のバイリンガルです。



逆のバージョンでドイツ育ちの日独ハーフの女性の話で、日本人のお母さんは子供に日本語とドイツ語の両方を学ばせたかったけれど、ドイツ人のおばあちゃんに「そんな極東の言葉なんか子供に覚えさせる必要は無い!」と反対されたケースもあります。この場合は色々事情があってバイリンガル教育はあきらめ、大人になった彼女は今ドイツ語のみを話します。



私自身の場合はどうだったかというと、やはり母親(日本人)は KYでした。私はドイツで育ったけれど、両親が決めたルールは、お母さんとは日本語で話すこと、そしてお父さんとはドイツ語で話すこと。これを徹底していたため、家の中だけではなく、たとえばお母さんと私でドイツの電車に乗っている時も日本語で会話をしていました。ところが、私が子供の頃のドイツの 70 年代後半とか 80 年代前半は、今ほど異文化にオープンな雰囲気ではなかったので、ドイツにいながら親子が日本語で話すことは必ずしも周りのドイツ人に歓迎されない雰囲気でした。特に第二次世界大戦を体験したドイツのお年寄りは「異文化」に対して決して寛容ではなかったから。



1980年というと、私は5歳だけれど、1900年に生まれている人は 80歳なわけで、その年齢のおじいさんおばあさんの中には、「ここはドイツなんだからドイツ語で話せ!」という考え方の人も多かったし。お母さんがドイツの電車の中で、私と日本語を話すのも大変だったんだな、と今になって思う。逆に、お母さんはある意味「鈍感」あるいはKY だったから、こういう事ができたのかな、とも思う。



現代でも例えば子供を、日本語と英語、または日本語とドイツ語のバイリンガルにしたい、と考える親は周りの目が色々大変だ。バイリンガルって、憧れの眼差しを向けられる半面、調子の乗るな! って視線も向けられたりするから。たとえば子供を日本語と英語のバイリンガルにしたい親が、親子で「親子の会話は英語ね!」とルールを決めても、イザ日本の電車に乗って親子で英語で話したりすると、その親子の容姿がたまたま日本人っぽい場合、周りの目は冷たいですよ。「日本人なんだし、ここは日本なんだから日本語でしゃべれ!」と言いたげな視線をバンバン感じたりします。親子で英語で話していると「なんでもかんでも英語で話して欧米かぶれ」「親子して調子にのってる」なんて言われたり思われたりするのもまたバイリンガルの現実なのです。



でも、そんな事でメゲてちゃバイリンガルにはなれないし、ここは親子そろってKYになるしかありません。周りの冷たい視線? 見えません・聞こえません・分かりません、っていう(笑)。



言いたいのは、バイリンガルっていうのは、「結果」であって、そこまでいくための道はボコボコだっていうこと。色んなハードルがあるだけに、どんなに沢山「石」を置かれても、そしてその「石」がどんなに大きくても、それにこたえない図太さが親子そろって必要だと言えます。



バイリンガル教育を1つの "プロジェクト" だととらえて、そのプロジェクトをやり遂げるまではふんばる根気と覚悟が必要ということです。大人になったバイリンガルはいわば ”完成版” として「うらやましい」存在であることが多いけれど、そこまで行く十何年の間には、恥ずかしい思いをしたり、KY だと思われたり、など色々な過去があるのです。



あくまでも私の主観だけれど、親子で KY だと、バイリンガル教育において二人三脚で良い結果が出ると思う。たとえば「日本にいるけど、誰がなんと言おうと子供とはドイツ語で話す!」とか、「ここはドイツだけど、子供に日本語を教えたいから日本語で話す!」とか、場所・人を選ばない、気にしない & 空気を読まない。子供の将来を考えたら、周りの空気なんか、かまっちゃいられない、空気なんか読んでられない。これこそ、いい意味で突極の KY なのかもしれません。



さて、上に「親や大人の都合」を書いてきたけれど、「バイリンガル教育」は子供の目から見るとどうなのか。



いくら親が乗り気でも、子供が「バイリンガルは嫌だ!」と途中でバイリンガル教育を拒否するようになった場合はどうすればよいのでしょう。そこは子供のワガママだと思い無理やり続けさせるべきなのでしょうか? それとも子供の言う理由に耳を傾け、場合によっては、バイリンガル教育を途中で断念した方がよいのか? 残念ながらそこに「これが正しい」という答えはありません。どっちも正しいし、どっちも正しくない。



ただこれはバイリンガル教育に限らず音楽やスポーツなどのお稽古事に関しても言えることだけれど、いくら親が乗り気でも、子供がその事に興味を持たなかったり、やる気が無かったり、能力的に向いていなければ長く続けるのは難しい、という点は否定できないと思います。



なので、子供が「嫌だ!」と言ったら、まずはその理由を聞いてそれが解決しそうにない理由であればバイリンガル教育をあきらめるのも1つの方法だと個人的には思います。途中であきらめるというと、どうしても悪いイメージを持ってしまいがちですが、あきらめることによって新たな道が開けてくることもあると思う。



基本、私は本人の意思が大事だと思います。「両方やりたい!」という意思がないまま、親が子供にバイリンガルを強要しても、親子関係にヒビが入りますし、バイリンガル教育を続けていくことが、その子の将来にとって果たしてよいことなのか疑問だからです。



ただ子供に「両方の言語をやりたい」という明確な意思がない場合でも、従順な子やいわゆる「いい子」は親の期待にこたえようと頑張ってしまうこともあるようです。親が「教育ママ」で厳しく、子供が従順な性格だと、一見バイリンガル教育が成功しているふうに見えがちなのだが、その場合、大人になるまでにエネルギーを使い果たしてしまい、イザ「さあ仕事だ!」という時期に仕事に対して意欲が持てないケースもあります。つまり、小さい時から親から言われた「もう日本語学校の宿題はやったの?」「漢字の勉強はしたの?」「作文は書いたの?」という生活に疲れてしまった、という事です。



子供が途中で「もう日本語はやりたくない」または「もうドイツ語はやりたくない」と言ったり、子供がそれほど語学に向いていないことが発覚した場合、親がその子を全面否定しないことが大事なんじゃないかな。



そもそも個人的に思うのは、例えばフランス語とドイツ語のような欧米圏の言葉を2つ話すバイリンガルと、日本語とドイツ語のバイリンガルというのでは、習う過程の大変さがまるで違う、ということ。だってフランス語とドイツ語は両方ともアルファベットだし、距離も近いし、文化が違うといっても両方とも同じ欧米圏の文化だ。



でも、親が子供にドイツ語と日本語を教えたい場合、そのバイリンガル教育を親も子供も楽しめたら最高だけれど、違う考え方をすれば「日本語および日本の文化」&「欧米の言語および欧米の文化」を同時進行で1人の人間に詰め込めこんじゃえ、というのは極めて不自然な行為だということも頭の片隅に入れておいた方が良い。「なんで両方できないの?」ではなく、できない方が自然だという考え方。両方できたらそれは素晴らしいことではあるけれど、同時に不自然な状態である事も意識しておいた方がラクになれるんじゃないかな。



最後になりましたが、子供をバイリンガルにしたい、と思ったら、親自身が自分で自分にその動機を問いかけてみるといいんじゃないかな。動機は色々あるけれど、例えば、「子供の将来のキャリアに役に立つから子供をバイリンガルにしたい」のか、「子供に両方の国の文化を理解してほしいからバイリンガルにしたい」のか。それとも「自分は1ヶ国語しかできず苦労したから子供には複数の言語を習わせたい」のか。あるいは「バイリンガルはカッコイイ」という最近の風潮にのっかった軽い気持ちからなのか。色んな動機があるけれど、本当のバイリンガルになるまでの道はボコボコで色んなハードルがあるので、バイリンガル教育に入る前にそれらを全て乗り越える覚悟があるのか自問してみた方が安全かもしれない。



事務的な面で言えば、バイリンガル教育に入る前に、自分には子供を長い目でバイリンガルにする財力・体力・根気・時間があるのかどうか? を考えておくのも親の役目だと思う。全体的に見て無理なら無理やりバイリンガル教育をする必要はないのだから。



それらの事を考慮した上で、もし可能な場合は、1つの大きな ”プロジェクト" のようにバイリンガル教育に取り組むのが良いと思う。将来子供が大人になった時に両方の言語で読み書きができ、新聞が読めるレベルに達することを目標としたバイリンガル教育をするのであれば、ある意味ビジネスプランのように親が「バイリンガル戦略」を練ることが必要かもしれない。子供をどの学校に通わせるか。家の中では誰と何語を話すか。バイリンガルが原因で外でトラブったらどう対処するか、などなど考える事がたくさん!



なんだか色々書いてしまいましたが、結局はバイリンガル教育をするにしてもしないにしても、どちらにもプラス面とマイナス面がある、ということ。どちらの選択も正しいし、どちらも正しくない。そして人生を色んな角度から見た場合、バイリンガル=成功、とか、バイリンガル=幸せ、とは必ずしもならないことも心得たい。





YG_JA_844[1]サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴12年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社)など5冊。自らが日独ハーフである事から、「ハーフ」について詳しい。ちなみにハーフに関する連載は今回が2回目。趣味は執筆と散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン