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バイリンガルの意外な落とし穴

バイリンガルの意外な落とし穴

© oskay (flickr.com)

バイリンガルの意外な落とし穴

前回、子供を日本語とドイツ語のバイリンガルにするためにはどのような教育が必要なのかということについて書かせてもらったが、基本的に私は「バイリンガルであれば何でもできる」「バイリンガルが全て」「バイリンガル万歳!」とは思っていない。



どういうことかというと、バイリンガルであることによって得る事も沢山あれば失うものもあると思っているからだ。世の中の物事のほとんどにプラスとマイナスがある。同じ事柄でもプラスだらけ、という事は滅多にない。プラスが沢山あるようでもちゃんとマイナスもくっついてくるんだ。



バイリンガルだって例外ではない。私は言葉が2つまたはそれ以上できるのは便利ではあるけれど、2つの言語およびその文化に小さい時から触れていたことによって「失う」ものもあると思ってるんだ。そう、バイリンガルには「副作用」(Nebenwirkung)がある。どういうことかって? それでは、私の持論を説明しましょう。



日独ハーフの人を沢山観察してきたが、日本語とドイツ語の完全なバイリンガルもいれば、親がバイリンガル教育にはあまり力を入れず、ドイツ語オンリー、もしくは日本語オンリーのハーフもいる。ドイツ在住のドイツ語オンリーの日独ハーフを観察していて思ったのは、日本語とドイツ語の両方を話すハーフよりも、ドイツ語オンリーのハーフの方が専門知識の必要な、いわゆる「堅い」職業に就く傾向があるということだ。ドイツで医師や弁護士、税理士、エンジニアの職についている日独ハーフは「ドイツ語オンリー」で育ったケースが多い。仮に日本語を一時期習っていたとしても、決してバイリンガル教育どっぷりの語学中心の子供時代は送ってこなかった。



これを見ていて思うのは、しょせん人間のエネルギーや興味は限られているということ。日本語とドイツ語の両方を学ぶことにその人の全エネルギーが向かえば、当然、本人の興味の対象は日本とドイツの「文化」や「言語」に向き、医学に興味を示したりそれを職業にしようという発想にはなりにくい。弁護士や税理士にも同じことが言える。法も税金もいわば言語とは全く関係の無い分野なので(もちろん複数の言語ができれば便利ではあるが)、やはり日本語とドイツ語の完全なバイリンガルである場合は、そのような職業を選ばないケースが多いようだ。



言葉を長年学習してきた場合、「自分は言葉に沢山のエネルギーと時間を注いできた」と自負しているため、「それ以外」つまり言語関係以外の分野や職業に興味を示す事が少ないのかもしれない。もちろんドイツ語のみを話す日独ハーフが全て弁護士や医者になるというのではなく、ドイツで日独ハーフの弁護士や医者に会うと、日本語ができないドイツ語オンリーで育った人が多いという意味だ。



日本語とドイツ語のバイリンガルである場合、上手く行けば通訳や翻訳など言葉を活かす仕事に就けるが、マイナス点としては「フラフラしがち」というのがある。何となく言葉を使う仕事に就き、若い時にドイツと日本を行き来しているうちに専門分野を身につけなかったパターン。ドイツで言うAkademiker (大学教育を受けた人のこと。医師や弁護士、学校の先生などの職業を指して使われる事も多い) になるためには早いうちに決断をし勉強をすることが求められるが、バイリンガルのハーフは子供の時から両方の国と両方の言語を「行ったり来たり」していたから、その状態に慣れてしまい、大人になってからも「行ったり来たり」を無意識に続けてしまい、ある意味フラフラしてしまうことも多いんだよね。



そういう意味では、バイリンガルであることや両方の文化を知っていることが「妨げ」になる事もある。両方の言語や文化に子供の頃から長年触れてきたことで、結果的にある意味 "寄り道" の時間が増えるのかもしれない。ドイツの場合は、将来どの職業に就くか早いうちに決断することが求められるけれど、それを先延ばしにしてフラフラ道草をくってしまうケースが目立つかな。



職業に限らずアイデンティティーの面でも日本語とドイツ語の両方ができ、「両方の文化と共に」子供の頃から育ってきた日独ハーフというのは「フラフラ」 (私のことです…) してしまうことが多い気がする。皮肉にも両方できることによりアイデンティティーの確立が更に難しくなっていたりするのだ。「自分はドイツ人なのか?」それとも「自分は日本人なのか?」、その狭間で自分のアイデンティティーが常に揺れている感じ。



実際に日本語とドイツ語が出来るのだから、そして両方の国の文化や習慣も知っているのだから、そして両方の国に友達もいるのだから、「自分はドイツ人」または「自分は日本人」と思いたい。でもちょっと待って。なんだか私はやっぱり「普通の日本人」や「普通のドイツ人」とは違うぞ、と自分で気付いちゃったりするのだ。そしてそこから末永い葛藤が始まる。この葛藤やアイデンティティーの問題は時間が経てば解決する問題では必ずしもないため、かなりややこしい悩みとなる。ヘタすれば一生「ああ私って一体どこの人なのよ」とやっていかなきゃいけないかもしれない。



人間どこでもそうであるように、日独ハーフ同士でも「無いものねだり」をしてしまう。やっぱり隣りの芝生は青いのだ。モノリンガルである日独ハーフはバイリンガルの日独ハーフに対して「いいなあ、私も両方できたら両方のアイデンティティーを持てたのに」とうらやむ。でもドイツ語と日本語のバイリンガルである日独ハーフは、「言葉と文化を両方理解したところで自分自身のアイデンティティーの問題などは解決しない」という答えが分かっちゃってたりする。それはある意味人生の全てを悟りきって悲しくなっているような老人の心のような状態だ。



逆にバイリンガルである日独ハーフは、アイデンティティーや職業など色んなことが中途半端になりがちなので、日本で日本語オンリーで育った日独ハーフや、ドイツでドイツ語オンリーで育った日独ハーフが「アイデンティティー」の面ではうらやましかったりする。なぜなら、ドイツでドイツ語オンリーで育った日独ハーフのアイデンティティーは間違いなくドイツ人だし、日本で育ち日本語しか話さない日独ハーフのアイデンティティーは間違いなく日本人だから。



そこに「もし、自分がもう1つの方の言語を話せていたら…」「もし自分が違う国で育っていたら…」などと「もし…」と想像して悩むことはあっても、自分の考え方や感じ方が日本人なのかドイツ人なのかとは悩まない。そういう意味ではモノリンガルのハーフの方がアイデンティティーがハッキリしていて社会に溶け込みやすいのかもしれません。



最後に私自身の話で恐縮ですが、私のような両方の国の言語と文化を知り尽くしてしまった人間は、どちらの国にもアツくなれず両方の国をどこか第三者的な冷めた目で見てしまっていたりするので、これもある意味バイリンガルの弊害と言えましょう。それとも単に私の性格の問題?(笑)





サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴12年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社)など5冊。自らが日独ハーフである事から、「ハーフ」について詳しい。ちなみにハーフに関する連載は今回が2回目。趣味は執筆と散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン